ブログを訪問して下さった方へ。

おかげさまで、漸くホームページができました。
お寺に興味のある方も、ない方もどうぞ、お立寄り下さい。

お寺グッズのりらく

どうぞ、ブログともども よろしくお願い申し上げます。


amida.jpg temple.jpg

2007年09月21日

チベタン・ブッディズム〜チベット仏教音楽の神髄


チベタン・ブッディズム〜チベット仏教音楽の神髄

チベタン・ブッディズム〜チベット仏教音楽の神髄

チベタン・ブッディズム〜チベット仏教音楽の神髄
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2007年09月20日

〜 他力本願の誤用 〜

「他力本願」という言葉は、よく耳にする
ことがあると思います。

通常「自分でやらずにあなた任せにする」という
意味で使われる事が多いのではないでしょうか。

実際、辞書を見ても

大辞泉 によれば、

1 仏語。自分の修行によるのではなく、
  阿弥陀仏の本願の力にすがって極楽往生を願うこと。

2 自分の努力でするのではなく、
  他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

大辞林 によれば、

1 弥陀の本願の力に頼って成仏すること。

2 1 から転じて 他人の力に頼って事をなすこと。

また、ウィキペディア(Wikipedia)でも、

「日本語の中で、元来の宗教的概念や意味合いとは
異なって使用されることのある用語」とした上で、

1 阿弥陀仏の本願。浄土教・阿弥陀信仰の根本となる考えである。

2 他人任せ、成り行き任せ。元来上記の転用であるが、
  一般にはこの意で使用されることが多い。

と書いてあって、2の意味も間違いではありません。

でも、浄土真宗で言うところの「他力本願」は1 の意味が
中心であることを知ってもらえればと思います。

以下は、最近読んだ本の引用です。

『・・・・・他力は向こうにあるのではない。自分の
人格のうちに師匠と同じ光が輝き、師匠と同じ力が湧き、
師匠と同じ方向に向かって行くひとにして始めて他力が
顕現するのです。多くの人は他力を誤解し、乞食が
お情けで物を貰うときの態度心持であるかのように
考えているようである。教会堂や寺の前などに乞食が、
「旦那さんや奥さんや、どうか一文たらしてください」
と頼むように仏様にすがり、「お助け下さい」と
なきつくのであるとでも思っておるらしい。そんなものは
他力でもなんでもない。・・・・・』
     ― 暁烏敏 皆まさに往生すべし より ―

難しいことは私も分かりかねますが、他力本願は少なくとも
必死になって仏道に精進した所に開ける世界のようです。

普段使ってる意味と全く逆のようですね。

ことばは、時代によって変化するものだし、
転化してもとの意味から全くかけ離れたことを表すことも
よくある話です。

だから、「誤用」とまでいうのは、一般の人にとっては
大げさかもしれません。

しかし、最近浄土真宗の方とご縁ができたので、
あえて、こう書かせていただきました。

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posted by りらくん at 20:46| Comment(3) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

合掌について

手を合せて祈る姿は美しい、と言われることがあります。


但し、日本人の大半は「宝くじが当たりますように」とか、
「○○に合格しますように」といった時以外に手を合せるのは
稀なことのような気がします。

もし、無私の願いというものがあるとするなら、究極の祈りと
でも言えるでしょうか。

でも、神仏の前に首(こうべ)を垂れることは、
貴重な縁結びの機会ですから、それが例え現世利益であっても
入門編としては仕方のないところでしょう。



祈るためには対象が必要になることが多く、
ひと昔前にはお寺がその役割の一翼を担っていました。


もちろん今でも祈祷を受け付けるお寺はたくさんありますが、

そうじゃなくて、昔はもっと気軽に手を合せに行くことが
できたのではないでしょうか。


今、お寺といえば、亡くなった方に関わるときにしか
思い出さない人も多いようです。


それももちろん大事なことですが、本当は

「お寺は生きてる人のためにある」

という事を多くの人に知ってほしいです。


都会では、檀家が多すぎて困ってるというお寺もあるようですし、
逆に田舎では、人口流出に伴ってどんどん檀家が減っている
お寺もあります。

若い人がお寺に関心を持たなくなってきたのは、
檀家制度の煩わしさにも一因があるのかもしれません。



しかし、どんな人も「 祈り 」に対する潜在的欲求は
あると思います。


その時代、世代、精神レベルなどにマッチした受け皿が
なかなか見当たらないという見方はどうでしょうか。


「縁」があるものは必ずつながるはず。

その人にぴったりの「受け皿」も時期が来れば見つかります。


とにかく、まず手を合せて自分の内側を見てみましょう。

                         合掌 
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posted by りらくん at 00:58| Comment(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月31日

〜 金剛杵 〜

金剛杵(こんごうしょ)の杵と言う字は、
お餅を搗くきねという字です。

でも、これは、密教の法具です。

原型は古代インドの短剣状の武器でヴァジュラ(vajra)といいます。

仏の教えというものが煩悩(ぼんのう)を打ち破り、
悟りを求めようとする心をもたらす事を象徴しています。

日本には奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わった
真言密教とともに初めて伝来したものと考えられています。

護摩などの密教の儀式で用いられ、祭壇に置かれます。

基本的な形は棒状で、中央に柄があり、その上下に
槍状の刃が付いています。

刃の数や形によって、独鈷杵(どっこしょ)、三鈷杵(さんこしょ)
五鈷杵(ごこしょ)などと呼ばれます。

最も頻繁に使われるのは、五鈷杵だそうですが、
独鈷杵は「孔雀王」という漫画で有名になってしまいましたね。


東大寺南大門の金剛力士像は有名ですが、金剛力士の元の意味は
「金剛杵を持つもの」
だそうです。

写真を見る限りでは東大寺の金剛力士像が
手にしてるのはヴァジュラには見えないんですけど

どなたかご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。

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ラベル:密教 法具
posted by りらくん at 13:40| Comment(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月19日

千手観音

日本人になじみの深い仏様と言ったら何でしょうか。

阿弥陀様、お地蔵様など人それぞれに違うと思いますが、
観音様という選択も非常の多いのではないでしょうか。

観音様というと、「変身」のイメージがあります。

基本形に当たるのが「聖観音(しょうかんのん)」です。

他に○○観音と呼ばれるものがたくさんありますが、
基本形から変化(へんげ)したものなのです。

六道に迷う衆生を救うという考えから「六観音」
と称されます。

この辺はお地蔵様と似てますね。
「六地蔵」も六道救済ですから・・・

また、観音経には遍く衆生を救うために相手に応じて
三十三に変化すると書かれています。

これにより、「三十三観音」とも称されます。


六観音の中でも、千手観音(せんじゅかんのん)は有名ですね。

千本の手というのは、すべての衆生を漏らさず救済しようとする、
ことを表わしています。

千手観音は子年生まれの守り本尊でもあり、真言は

おん ばざら だらま きりく そわか

と唱えます。

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ラベル:千手観音 観音
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2007年08月13日

〜 刹という字 〜

昔、私が住んでいた東京都八王子市には
「高尾山薬王院(たかおさんやくおういん)」

というお寺がありますが、

「有喜寺(ゆうきじ)」
なる寺号は、当時全く知りませんでした。

地元では、「薬王院」とだけ呼ぶのが普通でした。



お寺を表すのに

  「山」

という漢字を使うのは比較的良く知られています。
「山号」については、前にも書きましたね。

例えば、千葉県成田市にある「成田山」は全国的に有名です。

真言宗の新勝寺というお寺ですが、「成田山」の方が
通りがいいようです。


ところで、

  「刹」

という字もお寺をあらわすのが
以前から気になっていました。

例えば、名刹(めいさつ)とは名高い寺のこと。

古刹(こさつ)といえば由緒ある古い寺を指します。

その他に、

寺刹(じさつ)・・・・寺院のこと
仏刹(ぶっさつ)・・・寺院・浄土
巨刹(きょさつ)・・・大きな寺
大刹(たいさつ)・・・大きな寺
禅刹(ぜんさつ)・・・禅寺
西刹(さいせつ)・・・西方の、阿弥陀仏の極楽浄土
梵刹(ぼんせつ)・・・寺
浄刹(じょうせつ)・・清浄な寺院。また、その境内
霊刹(れいさつ)・・・霊験のあらたかな仏を祭った寺

など、結構たくさんあります。

刹とは 本来
「仏塔の中心となる柱。また、その礎石。」
を表す言葉のようです。

「寺の門前や仏堂の前に立てる、先に炎形の宝珠をつけた長い竿」
を「刹竿 (せっかん)」と言うそうですから、

それが転じて寺を表すようになったんでしょうね。


羅刹(らせつ)、刹鬼(せっき)というのは

人や物を滅ぼす幽鬼。悪鬼のたぐいでしたが、

のちに羅刹天(らせつてん)と呼ばれる仏教の守護神になっています。


さらに、普段使う言葉にも
「刹那 (せつな)」
というのがありますね。

もともと、きわめて短い時間を表す仏教の言葉ですが、
現代でも
「刹那主義」
などと言って、短い時間の意味で使います。


インドでクシャトリヤというカーストがあります。

日本語では刹帝利と当て字を使って書くのですが、
お寺とはちょっと関係ないみたいです。


仏壇やお墓の代わりに
手元供養『おもいで碑』




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ラベル: 名刹
posted by りらくん at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月10日

〜お寺と落語〜

え〜毎度ばかばかしいお笑いを一席。

という訳で落語の話です。


最近、従来からの行事に加えて、色々なイベントを
催すお寺も増えてきたようです。

因みに、私の「りらく」でも、この5年間に
5回ほどお寺でコンサートを開かせて頂きました。

音楽のコンサート以外によく催されるものとして
落語を聴く会があります。

私も最初は落語とお寺が結びつかなかったのですが、
調べてみたら、意外に深い関係がありました。


------------------------------------------

天文23年(1554年)から 寛永19年(1642年)というと
安土桃山時代から江戸時代をまたぐことにになりますが、

浄土宗の僧侶に

安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)

という方がいました。

この方は、60歳の時に浄土宗西山深草派総本山誓願寺の
第五十五世法主になったという偉いお坊さんなのです。

策伝は京都所司代板倉重宗(1586〜1656)の依頼により
寛永5年(1628)に『醒睡笑(せいすいしょう)』という
草子を上梓しました。

もともとは笑い話集というわけでもなく、
説法をする際の話のネタを集めた本のようです。

まさか、ご本人もこれが後世落語のネタ本になるとは
思ってもいなかったでしょうね。

中には織田信長や豊臣秀吉の逸話や、『宇治拾遺物語』
・『イソップ物語』などに題材を得たと思われる話も
含まれています。


策伝が亡くなった後、落語の原型である「辻咄」の
種本として『醒睡笑』が使われたため、後世、策伝は
「落語の祖」と称されるようになりました。

つまり、言いかえると

落語はもともとお寺のお坊さんの説法

だったんです。

今でも語られる「子ほめ」「星とり竿」「無筆の犬」などの
落語の原話や小話の多くが『醒睡笑』に載っているそうです。


落語を演じる舞台を「高座」と言いますが「高座」には
「寺院で、僧が説法などをするときにすわる一段高い席」
という意味があります。

また、落語の符牒で手拭は曼荼羅(まんだら)、
羽織はダルマ(達磨)と言うそうです。

さらに、「寿限無」「転失気」「蒟蒻問答」「錦の袈裟」
などの演目にはお寺さんが登場します。

落語とお寺ってずいぶんと深〜い関係だったんですね。

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ラベル:お寺 落語
posted by りらくん at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

とんでもない!お寺の?話

突然ですが、クイズです。

史上最強の坊さん

は誰でしょう?

正解:花和尚魯智深(かおしょうろちしん)

中国の四大奇書の一つと言われる

「 水滸伝 」
をご存知でしょうか。

宋の徽宗皇帝の時代、実権を握っていた
悪い臣下がおりまして、民草は
えらく苦しんでおりました。

それを、梁山泊(りょうざんぱく)に
集った好漢たちがやっつける話です。

その登場人物の一人で魯智深という
好漢が出てきます。

もとは役人だったのですが、ある父娘をいじめていた
町の親分を殴り殺してしまいます。

お尋ね者になって逃亡しますが、、彼に助けてもらった
父娘に偶然出会ってかくまってもらいます。

そこで、娘の夫の勧めで出家して坊さんになり、
名前と風貌を変えます。

紹介された寺でも酒を飲んで暴れるなど
手が付けられません。

ついたあだ名が

「花和尚」=「いれずみおしょう」

しかし、非常に痛快な男で、
困っている人を見ると見捨ててはおけません。

特徴は、柳の枝を根こそぎ引っこ抜くほどの怪力。

因みに彼の仲間に、行者とあだなされた
武松(ぶしょう)という好漢も居りました。

この武松という男も素手で虎を退治して
名を挙げた豪快なやつです。



一読をオススメします。
(りらくんは小学校の時から水滸伝ファンです)


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ラベル:水滸伝
posted by りらくん at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

お寺訪問エピソード(3)

北海道のお寺には「月忌参り」或いは「月参り」
と呼ばれる慣習があります。

正確に調べたことはありませんが、全国的に
「月忌参り」がある地域とない地域があるようです。

さて、営業でお寺を訪問する際、一番のポイントは
何だと思いますか。

正解は「ご住職に会えるかどうか」です。

お寺はご住職の権限が殆んど絶対に近いところが
あるので、ご住職と話をしないと仕事にはなりません。

とかろが、月参りのため朝早く出かけてしまうお寺も多く、
この「会う」ということにいろいろ苦心があったわけです。

月参りからご住職が帰ってくるのが、早くて午後2時くらいです。

ですから、日中訪問するのはアポがあるときとか、奥さんから
情報を仕入れるときなど、特別なときに限られます。

普通は書類を書いたり、次に回るルートを検討したり、
本日の宿泊先(道の駅の駐車場)をどこにするか
考えたり、寝たりしています。

また、行事が入ってる日は当然相手にしてもらえません。

当然、お通夜やお葬式に当たったら、訪問をあきらめて
通過します。

北海道は広いので、一旦家を出ると1週間から10日程
続けて回るのですが、家から遠いところは経費の
関係もあって、だいたい年に一回位しか行けません。

その、年一回しか訪問できないお寺で、ちょうど
お葬式に当たることもあるわけです。

あるとき、H町のお寺を訪問したところ、葬儀を行うという
看板が出ていました。

そのときに限って、何を思ったか「挨拶だけして帰ろう」と
素通りするのをやめたのです。

玄関を開け案内を乞うと、・・・

ちょうど、ご住職が目の前にいらっしゃいました。

ご挨拶だけして帰りますと言うと

「あがれ、あがれ、こういう時でないと
なかなか会えないから。」

といって上げて頂きました。

応接室に通され、カバンをあけて
営業開始です。

そこへ、奥様がお茶を持って現れ
そのまま同席。

一緒に私の説明を聞いてくださいました。

40代になったばかりの若々しいご住職なのですが、
いつも、いたずら坊主のような茶目っ気のある
或いは人なつっこい笑顔で応対されます。

才気煥発と申しましょうか、反応する言葉が
機関銃のようにポンポンポンと出てきます。

そこへ合の手を入れる奥様のタイミングが
また絶妙で、私はまるで夫婦漫才を
聞いているかのようでした。

そのやり取りに殆んど呑まれてしまった私は
『そういえば、これからお葬式だった。』
ということを危うく忘れるところでした。

いつまでも、お話をしていたかったのですが、
そうも行かず、お礼を述べてお寺を出ました。

この時は、運よく上げていただいただけでなく
ありがたいことに営業も成立しました。

しかし、あとにも先にもこんなに懐の広い
ご住職に会ったことはなく、このN住職は
今でもとても印象深い方のおひとりです。
posted by りらくん at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

乞食坊主 5

林暁宇師が暁烏師の所に入門した時、

『坊主は乞食だぞ。たとえどんなことをしようとも、
それについて報酬を要求する権利を放棄して
生きるのが坊主だ。

お与えがあればそれをいただき、
なければそのまま死んでいく。

この私を生かすも殺すも自由にしてくださいと、
自分の命を相手の前に投げ出して生きるのが坊主だ。』

と言われたそうです。

今の世においては「僧」と「俗」の境が曖昧な部分もあり、
こういう言葉は唯の比喩とも受け取られかねませんが、

それを実践なさった林暁宇師は真の仏法者であり、
わたしが乞食坊主を賞賛する所以でもあります。

経済的に困窮すれば心まで貧しくなるのが人の常。

本当の仏法者はいつも常人を超えたところに居られます。

「暁」の字を継がれたお二人はもうこの世におりませんが、
私のような、なまくらな仏教徒が、時折内省する拠り所としても、
連綿たる法灯が受け継がれることに期待を寄せるものです。

拙文が林暁宇師の追悼になればこの上ない喜びです。        

                      南無阿弥陀仏

※ 表現力拙く「乞食坊主」の凄さを伝え切れていないという
もどかしさは残ります。
もし、興味のある方は以下の本を参考になさると良いでしょう。

それで死んでも悔いなかろう  林 暁宇著 北國新聞社出版局刊 1800円
賜る願い 限りなく      林 暁宇著 北國新聞社出版局刊 1800円
妙なるいのちこのいのち    林 暁宇著 具足舎刊       300円
略伝 暁烏敏         林 暁宇著 具足舎刊       300円

以上 具足舎 取扱い
(価格は変更になっているかも知れないので具足舎へお問合せ下さい)
〒923-1216 石川県能美市鍋谷町ツ三二ノ一
   tel 0761-51-2202
posted by りらくん at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月21日

乞食坊主 4

打ち上げの席で、ご住職と話をした時に
岩瀬師のことを尋ねてみたら、
なんとこのH寺は、かつて岩瀬師が
北海道で拠点としていた寺の一つだった
ことが分かりました。

それならば、岩瀬師にお目にかかれないかと
ご住職に伺って初めて、既にお亡くなりに
なったことを知ったのでした。

残念でしたが、今回のご縁を結んで下さったのは
岩瀬師かも知れないと思うこともできました。

mokkan1.jpg
そして、流木の切れっぱしに自作の俳句を書き付けて
残した物がこのH寺にも残っていたのですが、

その貴重な1点をご住職から頂き私の宝物になっています。
mokkan2.jpg


さて、岩瀬師の本を下さったS寺のご縁で、
これまた暁烏師のお弟子さんである
林暁宇(はやし ぎょうう)師を知ることができました。

この方もまた、見事な「乞食坊主」としての人生を
歩んでこられた方だということを知り、
私淑しておったわけです。

毎月「鍋谷だより」という通信を読ませて
頂いていたのですが、先日、林曉宇師が
4月29日に亡くなられたというはがきが来ました。

訃報に接してまず思ったのは、
「最後の“乞食坊主”が逝ってしまった。」という事です。

世の中は広いので、まだ私の預り知らぬ所に
そういう方もおいでになるでしょうから、
「最後」というのは、正鵠を射てないかも知れませんが、
私の心理描写としては正しいのです。

この文を書こうと思いたったのも、
直接お目にかかったことはないけれど
ご縁があったと思われる林暁宇師の
追悼の意味合いもあるのです。

(以下続く)
posted by りらくん at 14:14| Comment(3) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

乞食坊主 3

打ち上げの席ではまず、ご住職が息子さんの副住職と
ギターのデュオで歌を披露。(後で聞けば、
その筋では有名な「歌う住職」だったのですが・・・)

そのデュオを自己紹介するご住職は
『私たちは“19(ジューク)”でも”ゆず“でもなく
”じゅず“です』とキッチリ笑いをとる芸人ぶりで、
大向こうからも掛け声がかかるというノリのよさ。

日帰り圏ではなかったので、その日は泊めて
いただいたのですが、これまたオープンなのにはビックリ。

何に驚いたのかといいますと、普段ご家族の使っている
お風呂を使わせてくださったことです。

読者はピンとこないかもしれませんが、
お寺回りの営業経験から、今のお寺は昔と違って、
寺院部分と住居部分をキッチリ分けている所が多く、
住居部分にはお檀家さんでも容易には立ち入れないのが
一般的だというイメージを持っていましたので驚いたのです。

もちろん、専用の宿泊施設があるような大きなお寺で
泊ったり風呂に入ったりした経験をお持ちの方も
いらっしゃるとは思いますが、それとは全く
次元の違う話なのです。

私が営業でお寺を回っていた時に、泊めてくださったお寺が
5ヶ寺もあるというのも驚異的だと思っていますが、
このH寺ほどオープンなところは後にも先にもありません。

そして、坊守さんをはじめご家族の皆様が
とても暖かかったのが印象的でした。

さて、少し(?)話は脱線したので元に戻しましょう。

(以下、続く)
posted by りらくん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月16日

乞食坊主 2

岩瀬暁燈師という方は、○○寺の住職
という訳ではなく、縁ある寺を回り歩いては
俳句を詠み、会う人にはひたすら
念仏を説くという、まるで法然上人、
親鸞聖人あるいは一遍上人などの時代に
戻ったかのような、今どき「ありえない」
坊さんだったようです。

その本を読んで暫くしてからの事。
家内が、お寺でのコンサートに
出ることになったというのです。

私事で恐縮ですが、うちの家内は
アコーディオン弾きで、いろいろな
ジャンルのバンドをやっています。

このときは「みるくゆー(沖縄の言葉で”弥勒の世”)」
という三線(さんしん)を中心とした沖縄音楽のバンドが
I町のH寺に呼ばれたのでした。

私の営業範囲の寺ではないので、
もちろん私の縁とは別系統の話です。
hourinji.jpg
ところが、H寺の名に聞き覚えがあったので、
おかしいなと思っていたら、何日かして
「あっ、あの本だ!」と思い出したのが先ほどの
岩瀬師の本でした。

その本の奥付にH寺の名が確かに
書いてあるではありませんか!


シンクロニシティの体験はいくつかありますし、
特にありえない事とも思ってはいませんが、
このときはやはりびっくりしました。

会いたいと思っていた人にゆかりのある
お寺の名前が家内の口から飛び出したのですから。


お寺にはいろいろな行事がありますが、
法要の後に「アトラクション」をする
お寺の話もよく耳にします。
H寺では8月の聖徳太子講の日がそれでした。

ビンゴゲームの後、「みるくゆー」の登場です。
mirukuyu.jpg
お寺好きの私は、バンドのスタッフのような顔をして
同行し、写真撮影なんぞをしておりました。
後で聞くと、門徒さん方には結構楽しんで
いただけたようなので幸いでした。

しかし私にとって圧巻だったのは、
その後の打ち上げの席からでした。

(以下、次号へ続く)
posted by りらくん at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月14日

お通夜にて2

故人にはたくさんの経歴が
ありましたが、そのうちの
一つに、町の「国技会」の
役員というのがありました。

国技と言えばもちろん
相撲ですね。

ご自分でも四股名を持った
力士だったようです。

会場にはいろんな方からの
供物や供花などが並べられますが、
祭壇を見てあっと驚きました。

今度は何に驚いたかというと
軍配の形をした供花が
あったからです。


国技会でご縁のあった方
からのものでしょう。

なかなか味なことをやるもんだ
と思いました。

葬儀というのは故人を偲ぶ場で
あるのはもちろんですが、
故人を通して集まった方々どうしの
つながりや仏法との縁を深める場
としての意味合いが大きいと
思います。

軍配型の花も縁をつなぐもので
あればいいですね。
posted by りらくん at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

お通夜にて 1

町内会で同じ班の方が
亡くなったので、お通夜に
出席しました。

亡くなったその方は日蓮宗の
お寺のお檀家だったのですが、
ご親戚の数がかなり多いらしく、
相当数の参列者が見込まれました。

わが町の日蓮宗のお寺は
少々手狭だということで
通夜と告別式は近くの
浄土真宗のお寺の
門信徒会館で行う
ことになりました。

祭壇の一番高いところを見て
あっと驚きました。

壁には本願寺の下がり藤が
輝いています。

その真下に「南無妙法蓮華経」
と書かれた曼荼羅が!
onisi_huji.gif
hokke_mandara.jpg

こんな感じです


個人的には宗派横断的なことは
歓迎なのでOKですが、見る人が見たら
不思議な光景であったと思います。
posted by りらくん at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

乞食坊主 1

私自身は門徒(専ら浄土真宗を信奉する人)では
ありませんが、個人的には仏教徒だと思っています。
そして各宗派にはそれぞれいいところがあると
思います。

おかげさまで、宗派を超えていろいろな方々と
ご縁ができたのは有難いことです。

あるとき、仕事で訪問した真宗大谷派のS寺で
お目にかかったご住職から、岩瀬暁燈
(いわせ ぎょうとう)という人の本を
頂戴しました。
iwase.jpg
それまでも、種田山頭火や円空といった人たちのことが
書かれた本を読んでは憧れを抱いていたのですが、
現代にもこんなすごい人がいることを知り
衝撃を受けました。
iwase2.jpg
乞食坊主と言うと普通は蔑称と思われるでしょうが
実はそうではありません。

(以下 続く)
posted by りらくん at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

願以此功徳

人は一人で生きているのではないとか、
人の世は、支え合いでなりたっているという
ことを耳にすることは少なくない。

Aさんから何か物を頂いたとする。
或いは、何か親切にして頂いたとする。
Aさんに対してお返しをするのは
皆さんごく普通にやってらっしゃる
ことだと思う。

Aさんに感謝するのは当然として、
Aさんとの閉じた系の中だけで考えるのではなく、
もっと広く考えて、私もAさんも
支え合って生きている衆生の一部だと
考えるとどうだろう。

Aさんに直接お返しをしなくても
いいのではないかと私は思っている。
何かの機会に私がBさんに親切にしたり、
Bさんの喜ぶものをさし上げれば
それで、いいのではないかと
思うのである。

つまり、感謝の気持ちを広く還元すれば
いいのではないかと思う。

ここで、大切なのは人に物や行為を
施すときに見返りを求めないという
ことである。

それが無いと「あいつは何もお礼をよこさない」
ということになる。

これは、施しでなく「ビジネス」である。

「情けは人の為ならず」というのは
為した事は、自分に返ってくるよという
意味である。

仏教的に言えば「因」があって「果」が
あるのである。

自分が善行をなしたならば自分に返ってくるのは
仏教的にも当たり前なのだが、もう一歩進んで、
それによって他の人を利することを願う。

ここまで行ければすばらしい。

仏教には「回向(えこう)」という
優れた考え方がある。

回向とは自分自身の積み重ねた善根功徳を
相手にふりむけて与えることをさす。

以下のがいわゆる回向文(えこうもん)というやつである。

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道
《願わくは此の功徳を以って 普(あまね)く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に仏道を成(じょう)ぜんことを》


この考え方が自然に受け入れられるならば、
必ずや人間は進化の方向に向かうだろう。
posted by りらくん at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

〜〜室生寺と男女共同参画社会基本法〜〜

 先日、中学生に勉強を教えていたら、
「男女共同参画社会基本法(だんじょきょうどう
さんかくしゃかいきほんほう)」というのに出くわしました。

 あれっ、そんなもん習ったかなと思ったら、
2000年(平成12年)に施行された法律なので、
当然りらくんが中学生の頃はなかったわけです。

 「男女平等」というのは、今でこそ当たり前の
考え方のようですが、その昔、社寺や霊場、などへの
立入りを禁じる「女人禁制 (にょにんきんせい)」
という因習がありました。

 ところが、「信仰心」というのはそれこそ
男女に関わりなく生じるものらしく、当時も
信仰心の篤い女性の信者がたくさんいたようです。

さて、ここで室生寺(むろうじ)の登場です。
もともと、室生寺の位置する所は、奥深い深山という、
密教の道場にふさわしい環境でした。
鎌倉期には真言密教の最も重要な儀式を行う灌頂堂と、
弘法大師を祀る御影堂が建立されました。

真言密教の根本道場である高野山(金剛峰寺:こんごうぶじ)は、
厳しく女人を禁制しましたが、室生寺は女性の参詣が許され
女人にも開かれた道場「女人高野(にょにんこうや)」
として広く親しまれるようになりました。

「女人禁制 」と「男女平等」の考え方は相容れない部分があり、
同列に論じることがいいのかどうか、りらくんには分かりません。
どちらも尊重できる考え方はないものか、
お大師様に尋ねてみたいものです。
posted by りらくん at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

虚無僧のこと

時代劇で有名な「虚無僧(こむそう)」。
ご存知の方も多いことでしょう。

首には袋を、背中には袈裟(けさ)を掛け、
頭には「天蓋(てんがい)」と呼ばれる深編笠をかぶる。
足には五枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢(きゃはん)、甲掛(こうかけ)、わらじ履き。
これは、江戸時代になって徳川幕府によって規定されたものだそうです。
ただし、テレビでよく見る「明暗」と書かれた箱は、江戸時代には
存在しなかったようです。

もともと、虚無僧とは、 禅宗の一派である普化宗(ふけしゅう)の僧で、
剃髪しない半僧半俗の存在でした。

普化宗は中国(唐)の普化(ふけ)を祖とし、日本には
中国(宋)に渡った臨済宗の僧心地覚心(しんち かくしん)が
帰国することで伝わりました。

江戸時代には虚無僧の集団が形成された特殊な宗派で、
尺八を法器と称して禅の修行や托鉢のために吹奏しました。

幕府により虚無僧の資格や服装も決められるなど組織化され、
諸国通行の自由など種々の特権を持っていたため隠密の役も務めたと言われます。

旅行や移動の自由でなかった時代ですから、大きな特権です。
時代劇で虚無僧姿に身をやつしているのはそういう訳だったんですね。

江戸時代中期以降には、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって
横行するようになったことから、幕府は虚無僧を規制するようになりました。

普化宗は幕府との関係が深かったため、明治政府により解体され、
宗派としては失われています。
虚無僧は僧侶の資格を失い、民籍に編入されました。

しかし、1888年に京都東福寺の塔頭(たっちゅう)の一つ善慧院を
明暗寺として明暗協会が設立されて虚無僧行脚が復活しました。
posted by りらくん at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月23日

お寺訪問エピソード(2)

久しぶりに営業マンとして、お寺を訪問しました。

うれしいことに、以前お客様になっていただいた方丈様から
私の携帯に電話が入りお邪魔することになったのです。

品物をご注文いただけるのは大変有難く思います。
それ以上に、お寺様の活動のお役に立てるならば
もっとうれしいことです。

そのせいか、物を売らずに油だけ売って帰ることも多い
珍しい営業なのですが、初対面で一介の訪問販売の営業マンを
招じ上げてくださった縁(えにし)をとても大切な事だと、
思っているので、たまにはこういう人間もいて
いいだろうと思っております。

というわけで、今日も例によって、音楽の話になりました。
併設されている幼稚園を創設されたのが、既にお亡くなりになった
先代様で、12月に亡き先代様を偲んで、メモリアルコンサートを
催すというお話でした。

たまたま、家内がアコーディオン弾きなものですから、
いままでお客様になっていただいたお寺様とのご縁で、
本堂や檀信徒会館などを使ったコンサートをやらせて
いただいたことが何回かあります。

(ぜひ、こちらをご覧下さい。)

それらの写真を見せながら、つい音楽の方を営業してしまいました。
こういう時は、うちへ帰ると「何しに行って来たんだか。」と言われるのが常です。

今日カバンに入れて行ったものの中に
例えばこのようなものがあります。
ひと言法語チーフ



ひと言法語チーフ





ただいま、「りらく」のホームページを鋭意製作中です。
上の商品も「りらく」で取り扱っています。乞うご期待          
                    
posted by りらくん at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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