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2007年09月20日

〜 他力本願の誤用 〜

「他力本願」という言葉は、よく耳にする
ことがあると思います。

通常「自分でやらずにあなた任せにする」という
意味で使われる事が多いのではないでしょうか。

実際、辞書を見ても

大辞泉 によれば、

1 仏語。自分の修行によるのではなく、
  阿弥陀仏の本願の力にすがって極楽往生を願うこと。

2 自分の努力でするのではなく、
  他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

大辞林 によれば、

1 弥陀の本願の力に頼って成仏すること。

2 1 から転じて 他人の力に頼って事をなすこと。

また、ウィキペディア(Wikipedia)でも、

「日本語の中で、元来の宗教的概念や意味合いとは
異なって使用されることのある用語」とした上で、

1 阿弥陀仏の本願。浄土教・阿弥陀信仰の根本となる考えである。

2 他人任せ、成り行き任せ。元来上記の転用であるが、
  一般にはこの意で使用されることが多い。

と書いてあって、2の意味も間違いではありません。

でも、浄土真宗で言うところの「他力本願」は1 の意味が
中心であることを知ってもらえればと思います。

以下は、最近読んだ本の引用です。

『・・・・・他力は向こうにあるのではない。自分の
人格のうちに師匠と同じ光が輝き、師匠と同じ力が湧き、
師匠と同じ方向に向かって行くひとにして始めて他力が
顕現するのです。多くの人は他力を誤解し、乞食が
お情けで物を貰うときの態度心持であるかのように
考えているようである。教会堂や寺の前などに乞食が、
「旦那さんや奥さんや、どうか一文たらしてください」
と頼むように仏様にすがり、「お助け下さい」と
なきつくのであるとでも思っておるらしい。そんなものは
他力でもなんでもない。・・・・・』
     ― 暁烏敏 皆まさに往生すべし より ―

難しいことは私も分かりかねますが、他力本願は少なくとも
必死になって仏道に精進した所に開ける世界のようです。

普段使ってる意味と全く逆のようですね。

ことばは、時代によって変化するものだし、
転化してもとの意味から全くかけ離れたことを表すことも
よくある話です。

だから、「誤用」とまでいうのは、一般の人にとっては
大げさかもしれません。

しかし、最近浄土真宗の方とご縁ができたので、
あえて、こう書かせていただきました。

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posted by りらくん at 20:46| Comment(3) | TrackBack(0) | りらくんのお寺むだ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございました。へー、そうだったんですかあ!とても参考になりました!!
Posted by rainy at 2007年09月21日 08:10
こんにちは。僕もまるで誤解してこの言葉を使用しておりました。だけど、本来の意味はとても難解なのですね。
Posted by うるぱぱ at 2007年09月23日 10:27
こんばんは、サイトを拝見しました。私の家は日蓮宗(
創価学会では有りません)ですが、他宗と言う事で誤解している人が多いようです。「自力」=自分で努力する
「他力」=人に押し付け、丸投げと言う事ですが決して
そうではありません。他宗の信徒が言うのもあれですが
、自分の悪い部分と向き合い自分はどうしようもない人間だからかくなる上は阿弥陀仏の本願によって救済を願うのが本来の「他力本願」だと思います。世間の「自力
本願」というのが正しく悪い意味での「他力本願」では
無いかと思うのです。私個人的には「自力本願」よりも
「他力本願」の方が教えとしては深いのではないか、と
思います。努力や信仰の深浅によって理解の度合いが変わるのがこの他力の教えであると思います。
Posted by わ〜い、お茶 at 2011年09月25日 19:06
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