(以下 著者のご好意で「俳句で綴る秩父札所めぐり」より転載させていただいております。 原文は縦書き)
五月十一日(火)晴 八番・西善寺(さいぜんじ)〜十七番・定林寺(じょうりんじ)
武甲山を友に
どこまでも澄み切った空のもと、八番→六番→七番→九番→十八
番→十七番と進んだ。
横瀬下車。八番札所まで急な坂を三十分歩き山門に辿りつくと、
時計は既に十時をまわっていた。
樹齢五〇〇から六〇〇年と云われる天然記念物のモミジが見事に
枝を広げ迎え入れてくれる。六番へは西武鉄道を横切って歩くこと
一時間、秩父はどこを歩いていても目印になる武甲山が目の前に迫
ってくる。美しい景色を眺めるだけでも心すがしく安らかさを覚える
七番札所は、五分ほどの距離にある札所一番の本堂。威圧される。
次の九番札所へは十五分ほどで到着。朱塗りの六角堂が目に入る。
此処から十八番までは電車で移動し、次に十七番を前にして時間
切れで御朱印を受けられなかったので再度詣でる。今日は楽な日程
で秩父駅を四時五十三分に発つ。
山肌を見せて武甲は五月晴
秩父路は武甲を友に歩きたり
五百年経し西善寺の大紅葉
万緑に端然とあり武甲山
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2008年08月13日
2008年07月08日
〜 六波羅蜜の話 9 〜
六波羅蜜(ろっぱらみつ)とは、布施(ふせ)持戒(じかい)忍辱(にんにく)
精進(しょうじん)禅定(ぜんじょう)智慧(ちえ)の六つを指します。
これは、菩薩が涅槃(ねはん)の世界に入るために修める六つの行のことです。
という、一般的な定義はさておき、私たちの日常に何か益することが
あるのも事実です。
自分ならどうやって取り入れるかという観点から眺めてみるのも
いいのではないでしょうか。
― 精進(2) ―
(六波羅蜜の話 8 より続き)
その一方で民間でも、冠婚葬祭やお盆等において、
一般家庭や料理屋でも(精進料理が)作られるようになりました。
料亭などの精進料理は、グルメ志向の一角をなすことさえあるので、
時として、本来の精進料理(仏教の食事に関する概念)とは対照的
なスタンスを取ることもあります。
精進料理が本格的に発達したのは、鎌倉時代以降と言われます。
平安時代までの日本料理は、魚や鳥を用いてはいましたが、
基本的に薄味で、調理した後に各自で調味料を用いて味を調節するなど、
料理としては未発達な部分も多くありました。
それに比べて、禅宗の精進料理は、菜食ではありますが、
身体を酷使するので塩分を欲する武士や庶民にも
満足のいくようなしっかりとした味付けがなされていました。
味噌やすり鉢といった調味料や調理器具、あるいは根菜類の煮しめといった
調理技法は、それ以降、日本料理に取り入れられることになります。
また、豆腐、高野豆腐(凍豆腐)、コンニャクなどの食材も、
精進料理の必須材料として持ち込まれたと考えられます。
曹洞宗では、開祖の道元禅師が宋に仏教を学びに渡った時、
阿育王山の老典座との出会いから、料理を含めて日常の行いそれ自体が、
仏道の修行だと知ったことから、料理をしたり、食事をすることは、
特に重要視されています。
例えば永平寺では、料理を支度することが重要な修業の一つであり、
食事を調える「典座寮」という部署の責任者である「典座(てんぞ)」は、
重役の一員に数えられています。
また、懐石料理は精進料理から派生したものです。
参考サイト
大本山「天龍寺」の庭園内にある「篩月」、
ちょっと他では味わえない精進料理のお店です。
http://www.kyoto-tv.com/ara_sag/2970/2970.htmlをご覧下さい
ごま豆腐は「天下一」と賞され、「精進料理の明道尼」として知られます
http://artsvillage.jp/gesshingi_off/top.htmlをご覧下さい
大徳寺精進料理
http://www.daitokuji-ikkyu.jp/contents/syoujinryouri.htmlをご覧下さい
精進(しょうじん)禅定(ぜんじょう)智慧(ちえ)の六つを指します。
これは、菩薩が涅槃(ねはん)の世界に入るために修める六つの行のことです。
という、一般的な定義はさておき、私たちの日常に何か益することが
あるのも事実です。
自分ならどうやって取り入れるかという観点から眺めてみるのも
いいのではないでしょうか。
― 精進(2) ―
(六波羅蜜の話 8 より続き)
その一方で民間でも、冠婚葬祭やお盆等において、
一般家庭や料理屋でも(精進料理が)作られるようになりました。
料亭などの精進料理は、グルメ志向の一角をなすことさえあるので、
時として、本来の精進料理(仏教の食事に関する概念)とは対照的
なスタンスを取ることもあります。
精進料理が本格的に発達したのは、鎌倉時代以降と言われます。
平安時代までの日本料理は、魚や鳥を用いてはいましたが、
基本的に薄味で、調理した後に各自で調味料を用いて味を調節するなど、
料理としては未発達な部分も多くありました。
それに比べて、禅宗の精進料理は、菜食ではありますが、
身体を酷使するので塩分を欲する武士や庶民にも
満足のいくようなしっかりとした味付けがなされていました。
味噌やすり鉢といった調味料や調理器具、あるいは根菜類の煮しめといった
調理技法は、それ以降、日本料理に取り入れられることになります。
また、豆腐、高野豆腐(凍豆腐)、コンニャクなどの食材も、
精進料理の必須材料として持ち込まれたと考えられます。
曹洞宗では、開祖の道元禅師が宋に仏教を学びに渡った時、
阿育王山の老典座との出会いから、料理を含めて日常の行いそれ自体が、
仏道の修行だと知ったことから、料理をしたり、食事をすることは、
特に重要視されています。
例えば永平寺では、料理を支度することが重要な修業の一つであり、
食事を調える「典座寮」という部署の責任者である「典座(てんぞ)」は、
重役の一員に数えられています。
また、懐石料理は精進料理から派生したものです。
参考サイト
大本山「天龍寺」の庭園内にある「篩月」、
ちょっと他では味わえない精進料理のお店です。
http://www.kyoto-tv.com/ara_sag/2970/2970.htmlをご覧下さい
ごま豆腐は「天下一」と賞され、「精進料理の明道尼」として知られます
http://artsvillage.jp/gesshingi_off/top.htmlをご覧下さい
大徳寺精進料理
http://www.daitokuji-ikkyu.jp/contents/syoujinryouri.htmlをご覧下さい
2008年05月26日
秩父札所めぐり 3
(以下 著者のご好意で「俳句で綴る秩父札所めぐり」より転載させていただいております。 原文は縦書き)
四月二十二日(木)快晴 十二番・野坂寺〜十五番・少林寺
苺を食べ、芹を摘む
春深き今日の予定は、十二番札所からスタートし、街中心部とそ
の周辺十一ヵ所を巡る。
秩父駅 → (一〇分) →十二番 → (一五分) →十三番→ (八分) →
十四番 → (一二分) →十六番 → (六〇分) →二十三番 →(五〇〇
m) →二十二番 → (一五分) →二十一番 → (二〇分) →二十番 →
(一七分) →十九番 → (二〇分) →十七番 → (三〇分) →十五番
十六番札所・西光寺は外観質素で穴だらけの木の柱が目につく。
往時木札を打ちつけた跡で札所めぐりが盛んだった事を偲ばせる。
此処からの二十三番札所・音楽寺へは荒川にかかる立派な長い秩父
公園橋を渡り、小鹿坂峠の尾根上を目指す。梵鐘の音色は秩父札所
随一とか。川風に吹かれてひたすらのぼる。苦労し甲斐があって秩
父市街が一望、武甲の山の威容も間近にせまり眺望抜群。
この眺めをおかずに昼食をとる。すぐ下に二十二番札所、続いて
二十一番札所と巡拝して下る。
そこには田んぼが広がり、畦で芹摘む人に出会いしばし芹摘みを
楽しみ、二十番札所へと足を早める。今度はイチゴ園の看板が目に
入ってきた。
「食べようか?」「うん食べよう。」此処でも二十分費やす。
大分道草をしてしまった。ようやく二十番札所へ着いた時には三
時半をまわっていた。岩之上堂といい荒川の断崖に建ち、秩父札所
でもっとも古い建物とのこと。樹々に囲まれているので一層古色蒼
然の佇まいだった。十九番、十七番、十五番、と着いたのは五時を
すぎており、納経できず参詣のみ。
秩父駅午後六時三十九分発の電車に駆け込み、家に着いたのは九
時を過ぎ、ちょっとオーバーランの一日だったが、翌日は何事もな
かったかの様に出勤した。
観音の慈悲満ちみちる春の宵
苺食み芹摘み歩く秩父かな
西光寺往時を偲ぶ穴無数
音楽寺の鐘の音漂う秩父かな
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四月二十二日(木)快晴 十二番・野坂寺〜十五番・少林寺
苺を食べ、芹を摘む
春深き今日の予定は、十二番札所からスタートし、街中心部とそ
の周辺十一ヵ所を巡る。
秩父駅 → (一〇分) →十二番 → (一五分) →十三番→ (八分) →
十四番 → (一二分) →十六番 → (六〇分) →二十三番 →(五〇〇
m) →二十二番 → (一五分) →二十一番 → (二〇分) →二十番 →
(一七分) →十九番 → (二〇分) →十七番 → (三〇分) →十五番
十六番札所・西光寺は外観質素で穴だらけの木の柱が目につく。
往時木札を打ちつけた跡で札所めぐりが盛んだった事を偲ばせる。
此処からの二十三番札所・音楽寺へは荒川にかかる立派な長い秩父
公園橋を渡り、小鹿坂峠の尾根上を目指す。梵鐘の音色は秩父札所
随一とか。川風に吹かれてひたすらのぼる。苦労し甲斐があって秩
父市街が一望、武甲の山の威容も間近にせまり眺望抜群。
この眺めをおかずに昼食をとる。すぐ下に二十二番札所、続いて
二十一番札所と巡拝して下る。
そこには田んぼが広がり、畦で芹摘む人に出会いしばし芹摘みを
楽しみ、二十番札所へと足を早める。今度はイチゴ園の看板が目に
入ってきた。
「食べようか?」「うん食べよう。」此処でも二十分費やす。
大分道草をしてしまった。ようやく二十番札所へ着いた時には三
時半をまわっていた。岩之上堂といい荒川の断崖に建ち、秩父札所
でもっとも古い建物とのこと。樹々に囲まれているので一層古色蒼
然の佇まいだった。十九番、十七番、十五番、と着いたのは五時を
すぎており、納経できず参詣のみ。
秩父駅午後六時三十九分発の電車に駆け込み、家に着いたのは九
時を過ぎ、ちょっとオーバーランの一日だったが、翌日は何事もな
かったかの様に出勤した。
観音の慈悲満ちみちる春の宵
苺食み芹摘み歩く秩父かな
西光寺往時を偲ぶ穴無数
音楽寺の鐘の音漂う秩父かな
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